坂野惇子(ばんのあつこ)の生涯と夫や娘について!病気や死因も

芳根京子さんが演じる
「べっぴんさん」のヒロイン坂東すみれ。

 

その実在モデルがファミリアの
創業者である坂野惇子さんです。

 

ドラマが始まるのを楽しみに
待ちながら、いろいろと
坂野さんやファミリアに関する
書籍を読み漁っていました。

 

朝ドラにモデルがいる場合、
史実と照らし合わせながら
その違いについて知るのも
私の個人的な楽しみ方の一つです。

 

今回はヒロイン坂野惇子さんについて
私の見解も含めながらご紹介します。

 

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坂野惇子はどんな人物だったのか

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坂野惇子は1918年(大正7年)に
兵庫県神戸市で誕生しました。

 

父親の名前は佐々木八十八(やそはち)

 

佐々木家は近江の旧家出身で、
周りの豪商や富裕層たちに劣らず
高い名声と財力を持っていました。

 

なんだ金持ちのボンボンか
と思うかもしれませんが、
八十八は名家の出とは思えぬほど
好奇心旺盛な人物で、繊維卸売業
「佐々木営業部(後のレナウン)」
の創業者として名を残しています。

 

■関連記事■べっぴんさんすみれの父親坂東五十八(いそや)のモデルは佐々木八十八!

 

佐々木家は3男3女の子宝に恵まれ、
その中の3女が惇子になります。

 

長女と次男が早くに亡くなっていたため、
末娘の惇子はかなり大事に
育てられたようです。

 

八十八の心配性は度が過ぎていた
ことで有名で、毎日の検温は当たり前、
家で出される食べ物以外は
口にしてはいけないなど潔癖性
ともいえるほどのエピソードがあります。

 

「べっぴんさん」では
すみれとゆりの二人姉妹ですが、
ドラマでも過保護気味な父親という
設定になっていますね。

 

しかし、その点以外は
とても良い父親だったそうです。

 

子煩悩な八十八は威張ることなく、
冗談を言って笑わせては
娘の話もきちんと聞いていました。

 

金も地位も名誉もある父親の元、
惇子は何不自由なく育っています。

 

そう、惇子は生粋のお嬢様なのです。

 

このお嬢様設定が朝ドラの
視聴者に好まれるか否か、
個人的には気になるところです。

 

「花子とアン」でいえば
下から這い上がるような姿は
どんな環境であっても
努力次第でなんとかなると
強く語りかけられているようでした。

 

ハラハラしながら花子の
生き様を見ていたような気がします。

 

それとは対照的な人生を
歩みながらも、苦労して生きてきた
蓮子もまた輝いて見えました。

 

今回はヒロインが苦境に
立たされるまでに、何不自由ない
暮らしぶりを見て好みが
分かれるような気もするのです。

 

そんなの、どう感じるかなんて
視聴者の自由ですけれどw

 

ですが坂野惇子という人物は
お嬢様であっても気取らず
ただただ素直で純粋無垢な
女性であったのだと思います。

 

その人柄により周りに人が集まり
自然と力を貸してくれる、
商才があったというよりも
人に恵まれその縁を大切に
繋いでいった人物だと思うのです。

 

正直、戦前の惇子の生活は
裕福な家庭に生まれ育って
羨ましいと思うか、お嬢様にも
お嬢様なりの苦労があったんだな、
くらいにしか思えませんでした。

 

ですが終戦後、
生活は一変し困窮するばかり。

 

金持ちには金持ちの問題があり、
終戦後の国家財政を立て直すため
富裕層に対する財産税が制定され
坂東家もその対象となりました。

 

今までお金の問題には無縁だった惇子。

 

ここで惇子はこのままでは
いけないと気づくのです。

 

ここからが、坂野惇子という人物の
個性がどんどん生きてくるところでしょう。

 

惇子はファミリアを創業するまでに
たくさんの人物の協力を得ています。

 

皆、惇子の背中を押し、
励まし合いサポートしてくれた人物です。

 

惇子にとって兄のような存在であった
幼なじみの尾上清(おのえきよし)

 

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清は後にレナウンの
初代社長となる人物です。

 

清は惇子に対し、「昔のような
お嬢様のままではなく自力でお金を
稼ぎ生きることを考えなければ
いけない」とアドバイスします。

 

惇子はこのアドバイスを素直に聞き入れました。

 

そして父親にも背中を押され、
お金を得る方法を模索し始めます。

 

そこで「洋服を作って売る」ことを
考えますが、これまで何も言わずに
お金をもらうことがあっても
自ら請求したことがなかった惇子は
この第一歩にだいぶ苦戦するのです。

 

ハンドメイド作品を作る方なら
この気持ちは理解できるかもしれません。

 

クオリティの高い作品を作っても、
売るとなるとなかなか欲しい額を
言い出せないのです。

 

結局正当な金額を請求できず、
割に合わない仕事となって
しまうこともしばしば。

 

趣味と仕事の境に悩む方も多いでしょう。

 

ちなみに私もその一人w

 

ですが惇子は生きて行くために
お金を得なければなりませんでした。

 

縁あって惇子の作った作品を見た
モトヤ靴店の店主・元田蓮から
手芸店の開店を勧められた惇子。

 

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迷った惇子は甲南高等女学校時代に
出会った生涯の盟友である
田村枝津子に相談します。

 

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枝津子は惇子の背中を押し、
義理の姉である田村光子
洋裁で副業していることを告げます。

 

そして仲間に加わりたいと
申し出てきました。

 

また、惇子が結婚後に出会い
ご近所付き合いのあった
村井ミヨ子もメンバーに加わります。

 

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こうして仲間ができたことで
勇気がわいた惇子は、ファミリアの
前身である「ベビーショップ・モトヤ」
オープンさせたのです。

 

自分にできるだろうか?

 

不安に感じたときの仲間の支えは
とても心強かったでしょう。

 

惇子は決して自ら先導して
目立つようなタイプの性格では
なかったように思います。

 

周りのアドバイスを素直に聞き入れ
他者から学び、工夫し、
小さな成功を積み重ねて
少しずつ自信をつけてきました。

 

決して順風満帆ではなかったけれど、
4人の夫たちもまた妻の意見を
尊重し支え続けました。

 

この時代、なんて物分かりの良い
旦那様方なんだろうと思いますが、
この夫のサポートがファミリアを
大きく成長させていくのです。

 

ファミリアの創業メンバーの4人は
育ちは違えど皆お嬢様。

 

やはり苦労したのはお金の面で、
売上金をそのまま利益と勘違い
するほど最初は儲けが出て
いなかったようです。

 

これもハンドメイド作品を
作り販売する人にはわかる話。

 

売れた!やった!嬉しい!

 

その気持ちでいっぱいで、
材料費や人件費を全く考えて
いないんですよねw

 

惇子たちは完全なる職人気質で
商品を作り続けていました。

 

ですがこの職人気質がファミリアの
理念として今も受け継がれています。

 

ファミリアが皇室御用達ブランド
となったのもまた、惇子達の想いが
たくさんの人を繋いでいったからです。

 

惇子は人の話に耳を傾けながらも
きちんと一本筋が通った行動をとってきました。

 

良いものを届けるためなら
苦労を厭わず意志を貫くその姿勢が
周りに影響を与えていったのです。

 

初めはお嬢様のほんわかした企業に
大丈夫かな・・・と心配しながらも、
惇子の成長を感じながら胸が熱くなりました。

 

そして、高等教育機関を卒業した
エリートの夫達が妻達に経営を教えます。

 

この4組の夫婦それぞれの物語も
非常に興味深いものです。

 

ドラマではどこまで描かれるか
わかりませんが、決して
順風満帆ではなかった日々が
少しずつ変化していく様子を
楽しみに見ていきたいと思います。

 

夫や娘について

惇子の夫は坂野通夫(ばんのみちお)

 

惇子よりも通夫は2歳年上です。

 

1940年(昭和15年)、惇子が
23歳のときに二人は結婚しています。

 

二人の出会いは惇子が16歳、
通夫が18歳のとき。

 

惇子が甲南女学校4年生のときに
行ったスキー場で、バスに
乗り合わせていた甲南高校1年生の
通夫が声をかけたことがきっかけです。

 

ナンパじゃありませんよ?w

 

このとき惇子が背負っていた
リュックサックの紐がほどけており、
それに気づいた通夫が
紐を結び直してあげたのだそう。

 

これが赤い糸となるなんて・・・
運命的な出会いに羨ましく思いましたw

 

べっぴんさんでは通夫は
田中紀夫というすみれの幼なじみ
として幼少期から登場しています。

 

ドラマでこの運命的な出会いを
見ることができないのは残念ですが、
その分幼い頃からすみれを
見てきた紀夫がどのように
すみれを支えていくのか楽しみです。

 

通夫の父親は坂野兼通(かねみち)

 

財界で名を残した人物であり
坂野家もまた士族の家系で名家でした。

 

しかし通夫もまた名家だからと
威張ることなく、自分の力で
出世していった人物です。

 

この二人はとても仲の良い夫婦
として有名で、休日には一緒に
犬の散歩をするのが楽しみだったそう。

 

結婚から2年後、惇子は娘の
光子(てるこ)を出産。

 

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家族3人幸せに暮らしていましたが、
その後米英との戦争の影響で
通夫はジャカルタに派遣され、
そんな中で惇子は神戸大空襲を経験します。

 

自宅は焼失し夫の行方もわからぬまま、
惇子は姉の智恵子を頼って疎開し
娘と共に岡山で終戦を迎えました。

 

夫・通夫についてはこちらに詳しく
書いていますので興味がある方はご覧ください。

 

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晩年について

惇子は1992年(平成4年)に
心筋梗塞で倒れ一時は
危篤状態にまで陥りました。

 

その後も病院通いが続く中、
今度は夫の通夫が倒れてしまいます。

 

そして同じ年に通夫は
帰らぬ人となってしまいました。

 

通夫の死後、惇子はファミリアの
代表取締役会長に就任しています。

 

その後6年間会長職を務め上げ、
1998年(平成10年)に会長職を
退き名誉会長に就任しました。

 

惇子が亡くなったのはそれから
7年後の2005年(平成17年)のこと。

 

心不全により享年87歳で
亡くなったそうです。

 

亡くなるまでの間、惇子は
孫達に様々なことを語り過ごしたそう。

 

惇子は最後まで上品な女性で
ファミリアそのものだったといいます。

 

そんな坂野惇子の生涯を
朝ドラ「べっぴんさん」では
どのように描いてくれるのでしょう。

 

大胆に再構成しているとのことなので、
良い意味で朝ドラらしい
面白さが期待できそうです。

 

ドラマが楽しみですね。

 

坂野惇子さんやファミリアに
関する書籍をこちらで紹介しているので、
気になる方はご覧ください。

 

■関連記事■べっぴんさんの原作本は?モデル坂野惇子とファミリアに関する書籍まとめ

 

ドラマガイドはこちら☆