朝ドラ「べっぴんさん」で
すみれの幼なじみとして
登場する田中紀夫(たなかのりお)。
二人は後に結婚することになりますが、
実際はどんな関係なのか
調べてみるとドラマとは違う
出会い方をしているようです。
紀夫の実在モデルである
坂野通夫(ばんのみちお)とは
どのような生涯を送ったのでしょうか?
今回は坂野通夫という人物と、
ドラマで紀夫役を演じる永山絢斗さんについて
私の見解も含めながらご紹介します。
坂野通夫は士族の生まれ
坂野通夫は1916年(大正5年)
に兵庫県芦屋市に生まれました。
父親の名前は坂野兼道。
尾張藩の士族の末裔で
日本の銀行経営に深く関わり
財界で名を馳せた人物です。
■関連記事■べっぴんさん田中五郎(のりおの父親)の実在モデルは坂野兼通?
7男2女の子宝に恵まれた
坂野家の中で通夫は末っ子。
昔はやっぱり大家族ですね!
通夫は兼道が54歳のときに
生まれており、長男とは21歳差です。
現代で考えると21も離れていれば
父と子と言われても違和感がないくらいですね。
これだけ年齢が離れていたので
厳格な父・兼道からすると通夫は
孫のような存在だったのかもしれません。
兄姉たちがいる中、甘えが許されたのは
通夫だけだったのだとか。
名前に父親の一字を
もらったのも通夫だけ。
このことからも、通夫がよほど
大切にされていたことがわかります。
学歴や結婚について
通夫と惇子(すみれのモデル)は
1940年(昭和15年)に結婚しています。
二人の運命的な出会いについては
こちらの記事に書いているのでご覧ください。
■関連記事■坂野惇子(ばんのあつこ)の生涯と夫や娘について!病気や死因も
べっぴんさんでは幼なじみという
設定ですが、二人が出会ったのは
惇子が16歳、紀夫が18歳のとき。
このドラマチックな出会いには
運命を感じてしまいますよw
通夫が京都帝国大学の
学生だったときに婚約し、
卒業後二人は結婚しました。
京都帝国大学、つまり京大。
当時大学生は同年代で
2、3%しかいなかったといいます。
大卒というだけでもすごいのに、
京大卒ときたらどれだけ
エリートだったんでしょう!!
兼道は通夫が中学2年生のときに
他界しているので、通夫はその後
長男の信夫にビシバシしごかれました。
信夫も父親と同じく三菱銀行に
務める銀行マンだったので、
かなりお堅い家系なイメージがあります。
通夫だけ甘えが許されたという
エピソードが残っているだけに、
その差は激しかったのかもしれません。
ですが通夫は自力を好む
性格だったようですよ。
結婚の際も、終戦直後の
困窮していた際にも、
親族の援助は断ったといいます。
援助に対し「我々は物乞いではない」
と言った言葉からは「武士」を感じますね。
甘やかされて育ったとはいえど、
やはり厳格な父親を見て育って
いたのでそれなりにプライドや
自分の考えというのがしっかりした
人物だったのではないかと思います。
突然のジャカルタ生活
通夫と惇子が結婚し光子という
娘も授かりましたが、甘い新婚生活は
そう長くは続きませんでした。
通夫は1度目の徴兵検査で
兵役を逃れていたため惇子と幸せな
結婚生活を送ることができていましたが、
第二次世界大戦の戦況悪化により
次々と召集がかかっていきました。
真珠湾攻撃で有名な山本五十六
連合艦隊司令長官が戦死した頃。
ついに通夫にも徴用の命令が下されます。
兵隊ではなく軍の仕事に関わる
軍属だったのが救いでしたが、
これにより通夫は娘が生まれて1年後に
ジャカルタへ派遣されてしまったのです。
通夫はジャカルタで終戦を迎えましたが
敗戦による大混乱で連絡が途絶えていました。
抑留生活を余儀なくされ
惇子と再会を果たしたのは2年半後。
それでも生きて帰ってきた
だけで奇跡ですよね。
いろいろな本で通夫について知ると
思うんですが、彼はとても
強運の持ち主な気がします。
商売には運も大事と言いますが、
いろいろなことが起こりながらも
惇子も通夫も天に見放された
気がしないのです。
言葉にするのが難しいですが
興味がある方は是非関連書籍を
読んでみると良いですよ。
佐々木営業部とファミリア
通夫の義父である佐々木八十八
(惇子の父親)が創業した
佐々木営業部(レナウン)。
通夫は元々海外勤務に憧れて
大阪商船に勤めていましたが、
戦後その夢が絶たれ八十八の
勧めで佐々木営業部に転職しています。
この頃妻の惇子はベビーショップを開店し
ファミリアを成長させていきました。
当時のエピソードで惇子を含む
ファミリアの創業メンバー4人は、
お嬢様ゆえに経営に無知だったとあります。
この部分を教えていったのは
夫の通夫だったよう。
通夫は転職後に自分の仕事も
大変なのに、妻のサポートまでしていたようです。
「ベビーショップ・モトヤ」時代に
事業規模を拡大させようと
提案したのも通夫を含む
ファミリア創業メンバーの夫達。
エリート出身の彼らは帳簿付け
などを手伝ううちに妻達の仕事の
可能性を感じてどんどん深く
関わるようになっていきました。
この時代に妻のビジネスを応援
してくれる物分かりの良い夫がいた
ことにも驚きですが、こういう
身近な支えがあったからこそ
惇子は前に進んでいけたのだと思います。
しかし、ファミリアが阪急百貨店に
出店し軌道に乗り始めていた頃
内部で不正経理事件が発覚し
初代社長が責任をとって辞任。
その後任として
通夫の名前が挙がりました。
その頃には通夫は佐々木営業部に
とって欠かせない人物となっており
だいぶ引き止められたようですが、
通夫はファミリアへの移籍を決意します。
佐々木営業部で鍛えられた
経営能力を生かし徹底的に
ファミリアの改革に努めた通夫。
海軍出身の通夫のあまりに
厳しい指導に創業メンバーの
お嬢様方は悲鳴を上げたそうですが、
それでもこの改革のおかげで
ファミリアは規模を拡大させていきました。
その後ファミリアの社長に
就任した通夫はその職を退くまで
ファミリアに尽くしました。
1992年(平成4年)
にその生涯を終えた通夫。
享年77歳でした。
演じるのは永山絢斗!
ここで「べっぴんさん」で
紀夫を演じる永山絢斗さんを
簡単にご紹介します。
永山絢斗さんは1989年生まれ、
東京都出身の27歳です。
2007年に俳優デビューし
その後様々なドラマや映画に
出演されています。
もう、作品数が多すぎて割愛しますが
最近のドラマや映画では
「重版出来」や「真田十勇士」に
出演されていましたね。
朝ドラでは2011年放送の
「おひさま」で須藤茂樹役を演じました。
永山絢斗さん、今更ですが
瑛太さんの弟さんなんですねw
確かに、似てる!!!
6歳離れているので瑛太さんは
弟の絢斗さんが可愛くて仕方ないそう。
ということは義姉は
歌手の木村カエラさんか。
なんだか繋がりを知るとすごいですね〜
更に二人には上に兄がいます。
一番上のお兄さんは永山竜弥さん
といって元俳優さん。
イケメン三兄弟なんですよ!!!
今では兄達以上に引っ張りだこな
気がしますが、朝ドラ出演で
ますますファンが増えそうです!
すでに「瑛太の弟」ではなく
「永山絢斗」という一人の俳優として
有名になっていますもんね♪
坂野通夫の生涯を、どんな風に
演じてくれるのか楽しみです!
紀夫の幼少期を演じる子役については
こちらの記事をご覧ください。