「べっぴんさん」ですみれの父親
坂東五十八(ばんどういそはち)を
演じるのは生瀬勝久さん。
その坂東五十八の実在モデルが
坂野惇子さんの父親である
佐々木八十八(ささきやそはち)さんです。
佐々木八十八は佐々木営業部
(後のレナウン)の創業者で、
一代にして商売で成功を収めた人物。
後に惇子がファミリアを創業する際も
八十八の商売に対する考え方が
影響していたように思います。
今回は佐々木八十八という人物について
私の見解も含めながらご紹介します。
生まれや性格について
佐々木八十八は1874年(明治7年)、
京都のべっ甲商「和泉屋」で
佐々木源三郎の長男として生まれました。
佐々木家は近江源氏に連なる一族で、
佐々木高綱(源頼朝の側近)を先祖とした
11代にも渡る名家の豪商です。
八十八は大阪の問屋に就職後、
働きながら英語を熱心に勉強していました。
子供の頃から外国貿易の会社を
経営したいという夢があった八十八。
名家の出でありながらも
とても好奇心旺盛な性格で、
外国文化に興味があったようです。
惇子の枠にとらわれずに
突き進むところは父親譲りの
性格なのかもしれませんね。
父親の源三郎は八十八が14歳の
ときに亡くなり、相続するはずだった
異父兄の友次郎も早くに亡くなって
しまったため、八十八は1898年
(明治31年)に家督を相続しました。
八十八は結婚後に3男3女の
子宝に恵まれましたが、
長女や次男を早くに亡くしていた
こともあり健康面や衛生面に関して
非常に神経質だったといいます。
その神経質さは異常なまでで、
末っ子の惇子は一番その被害を
被ったそうです・・・w
例えば・・・
・毎日の検温は当たり前で平熱でなければ登校させてもらえない
・北風に向かって登校させるのが嫌だったから、惇子を自宅近くの別の小学校へ通わせた
・風の日や雨の日は学校を休ませた
・子供達が口に含む食事は入念にチェックしてから食べさせる
・キャラメルはアルコールで拭いて消毒してから食べさせる
・家で出された食事以外口にしてはいけない
北風に向かって歩いちゃいかんのかーーーーーい!!!!!
キャラメルのアルコール消毒ってなんやねーーーーーん!!!!!
って感じですよねw
こりゃひどいですw
八十八はとても優しい性格で、
それは家族に対してだけでなく
出入りのお客さんや女中にまで
気を配っていたといいます。
そのため周りからはとても愛されていたそう。
しかしこの子供達の健康管理
に対する執着心だけは病的ですねw
この点を除けば、
とても良い父親だったと思います。
まぁ完璧な人なんていませんから、
このくらいのエピソードがあった方が
人間味があって面白いと私は思いましたけど。
実際に自分の父親が・・・
と考えると逃げ出しそうですw
惇子もこれだけは勘弁してという
感じだったようですねw
企業し政界へ
結婚後の1902年(明治35年)、
八十八は27歳の時に独立して
レナウンの前身である
繊維雑貨卸売業「佐々木営業部」を
大阪に設立しました。
佐々木営業部は、各種メリヤス製品、
子供服や靴下、羽根布団等を取り扱っていた会社です。
メリヤスとは綿糸または絹糸などで、
機械を用いてよく伸縮するように
編んだもののことを指します。
編み物やニット類と言う方が
わかりやすいかもしれませんね。
そして「営業部」というのが社名に
ついているのには理由があります。
八十八は、創業当時から将来的に
グループ企業を作る構想を練っていたよう。
そこでその中心となる営業部が
必要という発想からこの社名になったのだとか。
八十八はその人柄と商才で
当時なかったアイディアで人々を惹きつけます。
西洋文化が大好きな八十八は
事務所を洋館にし番頭にも洋装させました。
しかしこれは単に好きだからという
わけでなく、目立つことにより
宣伝効果を狙ったものでした。
朝ドラ「あさが来た」でも同様の
シーンを思い出しますね。
人々に受け入れられるまでは
時間がかかりますが、やはり
人と違ったことをやることで
人の目を引くのは確かです。
八十八は、当時若干28歳だった
尾上設蔵を佐々木営業部の支配人
とするなど、才能のある人物には
要職を与えていきました。
この尾上設蔵がまた切れ者で、
佐々木営業部の発展に
欠かせなかった人物です。
1922年(大正11年)に英国皇太子
が来日した際、御召艦の名前だった
「レナウン」というのを八十八が気に入り
商標に採用したいと言い出しました。
その理由は「カッコイイから」。
八十八らしいですねw
「レナウン」を商標登録し、
それは戦後社名にも使われることとなります。
■関連記事■レナウンのブランドや意味は?ワンサカ娘のCMとシルヴィバルタンの現在も!
八十八は惇子にも
「商標を大切にするように」と
言い聞かせていたようです。
他にないものを作って売るために
大切なものなのだと。
惇子が阪急百貨店に商談を
持ちかけられた際、ロゴを阪急特選
マークに付け替えるのを
頑なに断ったのも父親の
教えがあったからでしょうね。
佐々木営業部は東京に支店を構え、
グループ会社を有しメリヤス界の
トップにまで成長します。
日本最大のアパレルメーカー
と言って良いでしょう。
終戦直後は第二次世界大戦中の
企業整理で総合商社の江商
(現在の兼松)に吸収合併されて
しまいましたが、戦後は支配人だった
設蔵の長男・尾上清が
佐々木営業部の復活を成し遂げ
後のレナウンを創り上げました。
ちなみに、八十八は1923年(大正12年)に
事業を設蔵に任せ第一線を退き、
大阪市東区区会議員となっています。
1931年(昭和6年)に貴族院議員となり、
貴族院が廃止される1946年(昭和21年)
まで政界で活躍したといいます。
八十八は政治家としても
高い評価を得ていたといいます。
とても人望が厚い人だったようです。
そして1957年(昭和32年)、
83歳で息を引き取りました。
八十八の妻、佐々木倆子については
こちらの記事をご覧ください。
■関連記事■べっぴんさんすみれの母親坂東はなのモデル佐々木倆子の生涯は?
演じるのは生瀬勝久!
生瀬勝久さんは1960年生まれ、
現在55歳です。
出演作は数知れず、
とても知名度が高く人気のある
俳優さんですよね。
名脇役といえどその存在感は
ハンパないです!!
生瀬さんといえば
私の中では「トリック」の矢部さんw
このヅラが外れる瞬間が
とっても好きでしたw
他にも「相棒」や「ごくせん」など
好きな作品はたーくさん!
こんなアホらしい役を演じながらも
真面目な役柄も多いんですよね。
朝ドラでは過去に1988年の
「純ちゃんの応援歌」、
2002年の「まんてん」に出演
されていて今回が3作目になります。
その他、NHK大河ドラマの
出演も多く、近いものでは
2010年の「龍馬伝」で吉田松陰役、
2013年の「八重の桜」で勝海舟役など
重要な人物を演じていました。
佐々木八十八の生涯を知り、
生瀬さんのような俳優さんが
演じるのを嬉しく思います。
生瀬さんならきっとすみれの父ちゃんを
カッコよく演じてくれるだろう、と。
心配性の潔癖性度合いが気になりますが、
そこもきっとお茶目に演じてくれるでしょうね♪