「べっぴんさん」で多田良子
(ただりょうこ)の夫である
小澤勝二(おざわかつじ)役を
務めるのは田中要次さん。
良子の実在モデルが田村枝津子さん。
その夫となるのは田村寛次郎
(たむらかんじろう)さんです。
しかし、ドラマの設定は
実在モデルの二人の話と
だいぶかけ離れているようなので、
ドラマはオリジナルの設定だと
思っていただいた方が良さそうですね。
今回は、史実通りの田村寛次郎さんが
どんな方だったのかと、勝二役を
務める田中要次さんについて
私の見解も含めながらご紹介します。
田村寛次郎の生涯について
田村寛次郎は1914年(大正3年)に
大阪府の繊維商社「田村駒」を創業した
田村駒治郎の次男として生まれました。
父親の死後は兄が
田村駒を引き継いでいます。
寛次郎は中学・高校・大学共に
惇子の夫である坂野通夫の先輩にあたります。
京都帝国大学(京大)卒ということですね。
そして卒業後は大日本紡績
(ユニチカ)に就職しています。
寛次郎もまた通夫同様に
当時珍しかった大卒でエリートの
道を歩んできた人物です。
1940年に惇子の親友の
田村枝津子と結婚。
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ですから結婚後は坂野夫妻と
田村夫妻の交友関係はより深まったそう。
そして、この寛次郎も
通夫同様に「これからの時代は
女性も働かなくてはならない」と
応援してくれた物分かりの良い旦那様でした。
「ベビーショップ・モトヤ」時代の
妻たちの商売の様子を見守りながら、
「これを会社組織にして事業規模を
拡大するべきだ」という意見も通夫と同じ。
徐々に妻たちを支えるため
ファミリアの経営にも関わっていきます。
寛次郎は結婚後兄に請われて
田村駒の取締役に就任しましたが、
第二次世界大戦の際には陸軍に
召集され中国の中支で終戦を迎えています。
その後田村駒に復帰しましたが、
会社が不正手段による物資の入手と
その隠匿容疑にかけられ
兄は公職追放となってしまいました。
1946年(昭和21年)の第一審は有罪判決。
1948年(昭和23年)に無罪となるまで
寛次郎は混乱の中社長代行を務めました。
田村駒はその後も経営難に陥り
1961年(昭和36年)には兄が急死。
かなり大変な人生を歩んできた方ですね・・・
寛次郎は監査役として
会社に関わっていましたが、
1962年(昭和37年)に辞任し
その後妻や惇子たちが創業した
ファミリアの監査役に就任し
妻を支え続けました。
演じるのは田中要次!
田中要次さんは
1963年生まれの53歳です。
「HERO」の「あるよ」でお馴染みの要次さん。
もう、要次さんはいるだけで大好きです!
何も言わなくても多くを語らなくても、
存在感がたまらなく好きw
ちなみに私、あのドラマに出てくる
通販グッズの似たやつ毎回探してましたw
今ではバラエティ番組などの
出演も多いように思いますが、
2001年に放送されたこのドラマが
きっかけで要次さんの
お茶の間人気が高まったようですね。
朝ドラでは常連さんなように思いますが、
調べてみると今回が6作品目のようです。
1998年「すずらん」
2010年「ゲゲゲの女房」
2012年「梅ちゃん先生」
2013年「純と愛」
2013年「あまちゃん」
2016年「べっぴんさん」
今回はももクロの百田夏菜子さんと
年の離れた夫婦役ということで
どんなキャラクターなのか楽しみですね。
イメージではあんまり口をきかない
けど優しく相手のことを考えてる感じ。
今回は不器用キャラかな??
2017年公開の映画
「蠱毒 ミートボールマシン」では
映画初主演を務める要次さん。
これからもますますのご活躍を願ってます♪