江戸幕府が密かに地中に
埋めたと言われる徳川埋蔵金。
推定金額は200兆円!!!
その真相は現在もわからず、
埋蔵金伝説だけが残っています。
何度もテレビ番組で特集され、
この場所に眠っているのでは
ないかという説も様々。
2016年現在の、徳川埋蔵金に
まつわる最新情報は・・・?
130年以上にわたり
埋蔵金発掘に関わってきた
水野一族の現在も気になりますね。
そんな徳川埋蔵金の場所候補に
群馬県の新たなエリアが加わったとの情報が!!
手がかりは古文書の写しだそうですが、
その真相は「世界の何だコレ!?ミステリーSP」
で八重野充弘氏によって明かされます!!
今回は、徳川埋蔵金にまつわる
都市伝説など気になることを調べてみました。
※テレビ番組の放送内容は
こちらの記事の中盤、そして
別の記事に続報を書いています♪
徳川埋蔵金のこれまで
時は幕末〜明治時代初期。
明治新政府軍は江戸幕府を
無血開城した後その御用金を
資金源に国を立て直そうとしていました。
しかし、どれだけ探しても
あるはずの莫大な財宝が見つかりません。
討伐を見越した何者かがそれを
隠したのではないかというところから、
徳川埋蔵金伝説が始まりました。
更に、江戸時代末期の勘定奉行
だった小栗忠順が、徳川家の財宝を
彼の生まれ故郷である群馬県赤城に
埋めたという伝説も存在します。
この伝説の真相を解明するべく、
1990年初期にTBS系列の
「ギミア・ぶれいく」という番組で
埋蔵金発掘プロジェクトが立ち上がったのです。
ここで登場したのが「水野一族」。
初代が幕府側の武士から
埋蔵金に関する手紙を受け取り、
3代130年以上にも及んで
徳川埋蔵金を探していました。
明治時代から、・・・ですよ??
そんなことやってる人たちがいたとは!!
そこに番組が目をつけ、
埋蔵金発掘プロジェクトが
立ち上がったというわけです。
コピーライターの糸井重里氏を中心に、
水野一族の協力のもと総額3億5千万円
かけて発掘が行われたそうです。
結局見つからなかったのですが、
毎回20%以上の視聴率を
叩き出すかなりの人気番組でした。
3代目の水野智之氏は2011年頃に
亡くなってしまったそう。
番組が手を引いた後も、水野家は
発掘作業を続けていると言われて
いましたが、最近はその話も聞きません。
今回フジテレビで放送されるのは、
徳川埋蔵金を追って40年の
八重野充弘氏が掴んだという
手がかりから出てきた新エリア。
八重野充弘氏が言うには、
徳川埋蔵金は複数の場所に分散埋蔵
されており、その一部が未回収とのこと。
時価3000億円ほど埋まっていると
いうのだからロマンがありますね。
八重野充弘氏はこれまで
徳川埋蔵金に関する
様々な書籍も出版しています。
これを読めば彼の生き様が
わかるということですね。
しかし・・・家族はいろいろと大変そうですねw
群馬県赤城エリアでの発掘について
さてさて、本題に戻りましょう。
八重野充弘氏いわく、
徳川埋蔵金に関しては昔から
探索者の数が多かったので、
残された資料や出土品に
ニセモノが多いんだそうです。
特に赤城山麓では発掘の
主導権争いまであったのだとか。
我先にという人たちが現れ、
真剣にやっている人たちを惑わすように
詐欺まがいのことをやっていたようですね。
八重野氏は水野一族を批判している
わけではないですが、その真相を
辿っていくと辻褄が合わない
ことが多いと指摘しています。
また、伝説通りの巨額のものが
そのまま残っているはずはなく、
すでに掘り出されたと考えなければ
ならない場所もあるとか。
赤城の北の昭和村やみなかみ町、
片品村に馬や牛で運び込まれた
荷物の目撃談が残っているそうなので、
安全性に問題のある赤城山麓
1箇所に置かずに更に北方の
複数の場所に移動させたと考えています。
今回テレビで紹介されたのは
この北方エリアのこと。
赤城山麓での発掘作業は他の方によって
今も続けられているのかと思いきや、
なんと当時直径100m、深さ60mまで
掘られた穴は跡形もなく消えていました。
今ではただの草むら・・・
八重野氏はご自身の調査により
ここを避けて調査を続けていたようです。
昔から徳川埋蔵金について
詳しく調べている方は、
水野一族&糸井重里派、
八重野充弘派など意見が分かれて
いたかもしれませんね。
私は1990年代のテレビ番組を
見ていませんし、今現在も謎が多すぎて
誰が正しいなんて言えません。
ですが徳川埋蔵金発掘のためにこんなに
多くの人が情熱を注いでいるのだと知って、
私も徳川埋蔵金について語れるくらいの
情報が知りたいと思いましたw
そして八重野氏が根拠づけて
徳川埋蔵金のありかを探している話には
期待を持てるような気がしてなりません。
では、番組で紹介された
新エリアについてご紹介します。
新エリアは群馬県の昭和村長者久保!
今回番組で紹介されたのは、
群馬県にある昭和村長者久保というところ。
番組ではなぜここなのかという理由が
4つ紹介されていました。
①ただの山林が天領
②お金がないのに日光社参
③遠回りの裏ルート
④裏ルートの上に金塊の写し
これについて詳しく説明していきます。
①ただの山林が天領
当時、天保の改革を進めていた
老中・水野忠邦が物資を長者久保に
運んだという記録が残っています。
水野忠邦といえば、1830年頃
徳川幕府のナンバー2として
実質的に権力を握っていたと言われる人物。
欧米諸国から開国を要求された際、
水野忠邦は幕府の財産を奪われないように
どこかへ隠したと考えられているようです。
天領というのは幕府の直轄地で、
金を産出する鉱山や商業の要となる地など
簡単にいうとお金が稼げる場所ということ。
その、幕府が直接支配する
重要な場所に長者久保も含まれていました。
しかし、ここで気になるのは長者久保が
何もないただの山林だということ。
ただの山林なのに幕府が重要地とする理由は?
という気になる謎があるんですね。
②お金がないのに日光社参
当時諸外国からの圧力や財政難が
叫ばれていた時代に、67年ぶりに
将軍家が日光東照宮に参拝する行事
「日光社参」が行なわれました。
なんと、17万人も引き連れた大行列。
なぜこんな時に・・・?という謎ですね。
③遠回りの裏ルート
そのとき、日光社参の行列が
別ルートで長者久保に差し掛かったのだそう!
本来であれば全員日光街道を通ればいいものを、
このとき二手に分かれてその裏ルートで
荷物や物資が運ばれていたんです!
これにより、この日光社参は
目的が別にあったのではないかと
八重野さんは推測しています。
この裏ルートで埋蔵金が
隠されていたのではないかと。
面白くなってきましたね〜♪
④裏ルートに金塊の写し
そして極め付けは、この裏ルートの
途中にある黒保根村から金塊の写しが
出てきたというのです。
八重野さんは拓本という
金塊の表面を墨で複写した紙を持っていました。
これを実際に再現するとこんな感じw
ヤバくないですか?
これ、本来なら江戸城にあるべき
ものなんですが、この拓本が
発見されたのは黒保根村の旧家の蔵
からだったんです!!
八重野さんの推測では、金塊を
運んだ人が黒保根の民家に泊まった際、
記念に写しを取らせてあげたのではないかと。
『「拓本を取らせてください」って
江戸城の奥まで行ってこすって
取らせてもらったなんて考えにくい』
というのが八重野さんの意見です。
確かに・・・
そして更に、長者久保の埋蔵金説を
決定付けたのがこの近くにある
双永寺で発見された3枚の銅板!
実物は所在不明だそうですが、
八重野さんとその仲間の高橋さんは
写しに書いてある暗号を解読し、
あるほこらを発見しました!
鍵となる暗号文は2枚。
◯が石でできたもの、△が神社やほこら
だと考えてこれを探していくと・・・
なんと全ての場所が一致したのだそう!
ちなみにわかりにくいですが
右側の地図のような紙の中心が
さきほどのほこらがあったところです。
そしてその場所までの歩数を
調べたところ、もう一枚の紙に
書いてある数字と合致!!!
ゾクゾクしますw
じゃあ、わかっているなら掘り出そう!
となったそうですが、
八重野さんたちは40年以上探索を
続けてきて掘り起こす費用がないと。
いうわけで、今回はフジテレビが
この費用70〜80万を負担して
掘り出すことになったんです!!
調査会社も入れて、電磁波レーダーを使い
予想したポイントを3箇所に絞って捜索を開始すると・・・
なんとレーダーがかなり反応した場所を発見!!
物か空洞か現状ではわからないそうですが、
深さ約2.5m、幅約5mの何かが
あることが判明しました。
八重野さんいわく、これは埋蔵金に
繋がる入り口なのではないかとのこと。
空洞のままにせず、埋蔵金の手前で
必ずどこかにフタをしているはずだと言うのです。
地主さんの許可をとり発掘作業を
開始したそうですが・・・
その続きは第二弾へ!!とのことでしたw
何なんでしょうね〜気になります。
もしかしたら本当に徳川埋蔵金が
出てくるんじゃないかって!
このワクワクの続きもまた追記したいと思います♪
追記
第2弾についてはこちらの記事をご覧ください。
■関連記事■なんだこれミステリー徳川埋蔵金発掘2016第2弾!階段の下には何が?
日光東照宮とかごめの唄とは
徳川埋蔵金について調べると、
「かごめの唄」が出てくるので
こちらについても紹介しますね。
「かごめかごめ」という唄に暗号が
隠されているという話は有名なようで、
これが徳川埋蔵金の都市伝説とも言われています。
「かごめかごめ」の唄の中で、
「かごめ」とは「籠目」。
籠の一つ一つの目がユダヤの象徴、
ダビデの星である六芒星の
形をしていることが徳川埋蔵金に
関係があると言われています。
なぜなら、徳川家が関東で建てた
神社や仏閣を地図上で線で結ぶと
六芒星が浮かび上がるからだそう。
ほぉぉぉぉ〜これは面白い!
「籠の中の鳥は」=「籠の中の鳥居」
つまり「日光東照宮」を指します。
「いついつ出やる」=「埋蔵金はいつ出てくるのか」
「夜明けの晩に」=「夜が明ける終りの部分」
=「日の出」=日光を見る」
「鶴と亀がすべった」
=「日光東照宮にある鶴と亀の像」
「すべった」=「統べる」の意味で、
埋蔵金の統一を表しているのだそう。
「後ろの正面だあれ」
=徳川家の墓の後ろに祠があること
を暗示しているのだとか。
あー、栃木に住んでる間に見とくべきだったw
YouTubeやこの方のブログで
詳しく説明されていましたが、
知れば知るほど面白い徳川埋蔵金の謎。
地質学上の調査でも何かが
埋まっていることは明らかで、
既にもう掘り出されていて
歴史を狂わすような世の中に
公表できない真実があるから
出てこないとされているとの噂も・・・
謎が多すぎて真実はわかりませんが、
今回希望の持てる八重野さんの
活動を知って更に興味がわきました♪
今後も埋蔵金の情報を
チェックしていきたいと思います♪