こんばんは!はつきちです!今日は英語の授業でした。日本人の先生とイギリス人の先生にダブルで教えてもらうという贅沢な授業です♪学生時代は大嫌いだった英語も、最近はもっと話せるようになりたいと思えるようになって。やっぱり勉強する環境って大事ですね。でも、今日は思いがけず外国人の先生と一緒に帰ることになったんです。20分ほどずーっとマンツーマンで英会話。焦るwww先生はわかりやすい英語で質問を投げかけてくれるし、ジェスチャーなんかを使えばコミュニケーションはとれるんですけど、自分の伝えたいことが伝わらないってもどかしい!ですね。もっと頑張ろう!と思った瞬間でした。こういうきっかけがあるからこそ勉強するモチベーションが上がりますね♪
さて、今日は「結婚したら人生劇変!
○○の妻たち」という番組を見ていました。
そこで登場したのは「プレバト‼︎」
俳句で人気の夏井いつき先生。
いつもは毒舌な言い回しから
夏井いつき先生のことを「嫌い」
と言う人も多いですが、
プライベートは全く真逆の
印象でびっくりしてしまいましたよ。
夏井いつき先生を可愛いと
思うことがあろうとはw
今回はテレビでは見ることができない
夏井いつき先生の魅力と、前夫と
現夫の加根光夫(かねみつお)さん、
子供達などご家族についてご紹介します。
もくじ
夏井いつきのプロフィール
名前:夏井いつき(なついいつき)
生年月日:1957年5月13日
出身地:愛媛県南宇和郡内海村(現愛南町)
学歴:京都女子大学文学部国文科卒業
国語教師時代や前夫について
夏井いつき先生といえば俳句の先生!
「プレバト‼︎」を見たことがある方なら
みんな夏井いつき先生の顔と
毒舌な言い回しが浮かぶでしょう。
嫌いとか性格が悪いと言う人も多いですが、
私はこういう思ったことをズバっと
言ってしまうタイプの女性が好きです。
私自身、腹黒いとか口が悪いと
言われるからかもしれませんが・・・w
夏井いつき先生は、
最初から俳人だったのではありません。
もともと、国語の先生だったそうです。
1980年に松山市立余土中学校で
国語の先生をやっていました。
1982年には愛南町立御荘中学校に転任し、
その頃の教師仲間である1歳上の
男性と25歳のときに結婚しています。
そして子供2人を授かり、
家族4人で幸せに暮らしていたそうです。
ご結婚されていたことにびっくりした私w
あの毒舌さから独身のイメージが
強かったもので・・・すみませんw
人は見かけだけで判断しちゃダメですね。
その頃、夏井いつき先生は
授業で教える俳句にとても興味を持ち、
独学で俳句の勉強をしていたそう。
このときはまだ、
俳句は趣味だったんですね。
それが仕事となるなんて、
やっぱり好きでないとやれません。
そんな夏井いつき先生が
俳人となろうと思ったきっかけは
何だったのでしょうか。
俳人になったきっかけは?
1988年、教職を辞して
俳人となった夏井いつき先生。
そこには、壮絶な過去がありました。
夏井いつき先生が
本格的に俳句を始めたのは、
彼女が30歳のときに亡くなった
前夫の父だったそうです。
その義父が俳句をしていたのか?
と思いきや全くそんなわけではなく、
夫の死にショックを受けて
体調を崩してしまった姑の面倒を
見ることになったのがきっかけだそう。
どういうことかというと、
姑の面倒を見るために教職を辞し、
夫の実家・松山に移ったんですね。
大好きだった国語の先生を辞めざるをえない
状況になってしまったということです。
学校を辞めるとき、
夏井いつき先生はある決意をしました。
そしてそれを公言したのです。
「これからは俳人になります」
俳句の世界で生きることを決意した
夏井いつき先生は、当時そう言って
教職を辞しました。
本当は辞めたくなかったでしょうけれど、
そう言って平然とした態度で
辞めちゃうところは負けず嫌いな
性格が出ていたんだなと思いました。
親の介護と離婚について
夏井いつき先生自身、
しばらくは専業主婦を楽しみながら
俳句の仕事ができないかゆっくり
探そうと思っていたのだそう。
こうして姑の身の回りの世話をしながら
俳人としての活動をスタートさせました。
しかし、本格的に俳句を始めて
10年が過ぎた40歳のとき。
今度は夏井いつき先生自身の
母親が脳腫瘍を患い、姑と母親
二人の面倒を見ることになったのです。
これは・・・本当に大変ですよね。
私も祖父が認知症を患って
実家で一緒に暮らし始めたとき
母親の苦労を見てきましたが、
1人面倒を見るだけでも大変です。
もちろん仕事は辞めなければ
ならないですし、自分の時間なんて
全くありません。
夏井いつき先生はその生活に
どんどん疲弊していったといいます。
テレビを見ながら、私の母親と
当時の夏井いつき先生を重ねてしまいました。
そして、徐々に夫婦の溝は深まっていき、
2人の世話が始まってから3年、
それぞれの親を引き取り離婚することに。
こうして病の母親と二人の子供を養う
シングルマザーとしての生活が始まったのです。
夏井いつき先生がシングルマザー
となったのは43歳のときですが、
きっと子供達も一番お金がかかる
高校、大学時代だったのではないでしょうか。
夫の収入を失って
俳人としての生活を始めたものの、
待っていたのは苦しい生活だったそう。
そもそも俳句って稼げるの?
と思いましたが、イメージ通り
プロとして生計を立てるのが
とても難しいのが俳句の世界です。
五・七・五の原稿料はとても安く、
主な収入源は句会を主催して得られる
会費や講演会料などだそう。
あまりの苦しさから夏井いつき先生は
悪夢にうなされ、スケジュール帳が
真っ白で仕事がないという夢
ばかりを見ていたそうです。
悪夢・・・わかります。
私も昔、悪夢を見ていた記憶があります。
歯が抜ける夢とか・・・
起きるときゾワッとしてましたw
今思えばあれは精神的に
追い詰められていたんですよね。
夢占いをたまに見るんですが、
あれって結構当たってる気がするw
夏井いつき先生も、
子供達と母さんを養えない、
どうしよう、と目をさますと
目から涙が溢れていたそうです。
事情を知ったかつての学校関係者から
非常勤講師の誘いもあったそうですが、
夏井いつき先生はその話も全て断りました。
えっ・・・!?
断っちゃうの!?!?!?
意地をはるのもやめようよ!w
と思ってしまいましたが、
夏井いつき先生いわく
「俳人になりますと啖呵をきって
やめたからには引きさがるわけにはいかない」
という気持ちでいっぱいだったそうです。
プロ根性ですね。
これには頭が下がりました。
この頃がむしゃらにやってきた結果、
興味を引くような話術を磨き
今のスタイルになったようです。
夏井いつき先生の毒舌トークの裏には
こんな壮絶な人生があったんですね。
・・・と思っていたら、夏井いつき先生は
更に自分を追い込むようなことを始めたのです・・・!!
みゆきハウスと子供達
子供2人と母親を養うだけでも
大変だろうに、夏井いつき先生は
そんな頃、俳句で知り合った
トラブルを抱える子供を
自宅に無償で下宿させ始めました。
きっと他人に構う余裕なんてなかったはず。
それでも困っている子犬のような目をした
少年・少女が目の前にいるとわかれば、
「部屋ひとつ空いてるけど来る?」
と言ってしまったのだそうw
多い時には同時に3人も
子供達が下宿していたのだとかw
夏井いつき先生の子供達や母親も
よく受け入れたなと思いますが、
それは彼女の性分をよく理解して
いたからでしょうね。
きっと、言っても聞かないと
わかっていたのでしょうw
どんなに生活が厳しくても
悩める子供達を放っておけず、
いつしか夏井いつき先生の家は
「みゆきハウス」と呼ばれるように。
なぜ「みゆき」なのかは不明です。
ちなみに夏井いつき先生の本名は「伊月」で、
俳号の「夏井」は前の夫の姓だそうなので
本名とは関係なさそうですね。
「疑似家族であろうが大家族って
助け合いながら結構やっていける」
という夏井いつき先生。
ドラマかよwと思っちゃいました。
夏井いつき先生の見方が変わった瞬間です。
現在、自分の子供もその預かった
子供達もそれぞれ巣立っていったそうですが、
登校拒否の子供達にとってこの環境、
この生活は忘れられないものだったでしょう。
再婚と現夫との馴れ初めは?
2003年、夏井いつき先生が46歳のときに
人生を劇的に変える出会いがありました。
それがテレビでも話題になった、
現夫の加根光夫(かねみつお)さんとの出会いです。
当時、CMプロデューサーの仕事を
されていたという加根光夫さんの作品は、
誰もが知っているであろうあのCMでした!
1999年に放送されていた
「マロニーちゃん こしがあるのよ編」。
中村玉緒さん出演のあの歌が
耳に残る人気CMです。
この頃、加根光夫さんは
ネットテレビへの出演オファーのため
夏井いつき先生の元へ訪れたそう。
事情によりこの仕事の話は
実現しなかったそうですが、
そのときに夏井いつき先生に
惚れ込んだ加根光夫さんが
句会に参加し始めたのです。
それからというもの、加根光夫さんは
大阪から松山まで足繁く通ったそうですよ。
そして次第に夏井いつき先生の
人間性に惹かれていったのだとか。
それから、加根光夫さんは
夏井いつき先生に猛アプローチを始めます。
句会の参加に限らず、
加根光夫さんは俳句のペンネーム
兼光(ケンコウ)という名前で
俳句や句会のレビューを投稿し、
家族の間で話題になったそうです。
その実力は夏井いつき先生を
認めるほどのレベルで、
その本気度合いは作品を見れば
すぐにわかったそう。
そして夏井いつき先生も、
加根光夫さんの存在が気になるように
なったんだそうですよ。
素敵ですね。
特に夏井いつき先生の心を捉えたのが、
加根光夫さんの大きく口を開けて笑う屈託のない笑顔。
普段無表情なのに、一緒にいると
楽しくてしょうがないというような
笑い方をする加根光夫さんが
どんどん気になっていったのだそうです。
そんな二人が交際を始めたのは、
夏井いつき先生が47歳、
加根光夫さんが55歳のときのことでした。
加根光夫さんには2度の離婚経験が
あるそうですが、それでも夏井いつき先生と
結婚することにこだわったそう。
夏井いつき先生と一緒に過ごしながら、
「こんなに能力のある人は見たことがない、
自分が付き人をやって、できることは
何でもして助けてあげたい」と思ったそうです。
なかなかいませんよ、こんな男性。
でも、夏井いつき先生は二度と
結婚はしないと決めていたそう。
そして加根光夫さんを諦めさせるために、
夏井いつき先生は彼をみゆきハウスに招待しました。
多くの困難を抱える自分の生活を見れば、
結婚を諦めてくれるはずと思った夏井いつき先生。
しかし、ここからの
加根光夫さんの行動に感動しました!
その暮らしぶりを目の当たりにしたかねさんは
「みんなお腹減ってる?」と聞くと
キッチンに向かって得意の料理を始めたそうです。
そして子供達の胃袋をがっちり掴み、
すぐに家族とも打ち解けていったのだとか。
夏井いつき先生の暮らしぶりに何もいわず、
自分にできることを考え行動する・・・
素晴らしい人じゃないですか!!!
出会いから3年後、加根光夫さんの
プロポーズもとても素敵でした。
「歳とってるけど、結婚しましょうか」
「もう歳も歳ですし」
「関係ありません」
「料理とか洗濯もやる余裕ないですし」
「僕がやります」
「こんな風に、よその子達もいますし」
「大丈夫です、子供達も僕を受け入れてくれてます」
「もう、問題ありませんよね。結婚しましょう」
「はい、お願いします」
返しが優しすぎて・・・!!!
結婚しないと言う夏井いつき先生の
抱える不安や問題を、一つ一つ優しく
潰していった加根光夫さん。
こうして、夏井いつき先生が49歳、
加根光夫さんが57歳のときの
2006年、二人は結婚したのです。
そして結婚から7年、
夏井さんの長女が結婚したときの
エピソードも素敵でした。
長女が記念撮影の場に前夫を呼び、
前夫と加根光夫さんが対面したときのことです。
普通ならば悶々とした雰囲気に
なりそうな気がしますが、
二人はこんな会話をしています。
「はじめまして、前の夫です。前の父です」
「はじめまして、今の夫、今の父です」
「子供と彼女を頼みます」
「はい、頼まれました」
返しが優しすぎる・・・!!!
そう言って握手を交わした夫たち。
これは、娘さんも感動したでしょうね。
二人の父親を持ち、
娘なりの苦悩もあったでしょう。
それでもこうして家族が再び集まり、
これをきっかけに前夫との
付き合いも増えたようでした。
今では前夫が農業をやっているので、
作ったイチジクを送ってくれるそうです。
そしてそのイチジクを加根光夫さんが
ジャムにするんですって。
なんだか素敵な関係ですね。
加根光夫さんの職業や現在について
CMプロデューサーをを定年退職した
加根光夫さんは、現在夏井先生の
マネージャーとして仕事面でも
サポートをされています。
なんと、あの「プレバト‼︎」の収録現場にも
付き合いカンペをセットしたりしているそうですよ。
加根光夫さんは夏井いつき先生の
スケジュール管理もこなします。
そして妻が困っているときは
仕事の相談相手にも。
創作活動にも同行し、
歩きながら俳句のタネを探す吟行も
一緒に行っていました。
いつもテレビでは毒舌な夏井いつき先生ですが、
夫と二人のときには「コスモスかわいいね」と
言いながら少女のようにはしゃいでいましたよ。
「お茶買ってください」
「はいはい」
というやりとりの後、きちんと
蓋を開けてペットボトルを渡す
加根光夫さんの優しさw
優しすぎて惚れますww
句会にももちろん参加し、
妻の行くところへはどこへでもついていくんです。
話は逸れますが、私の通っている
英会話教室のイギリス人の先生も、
CAとして働く妻について日本に
やってきた人です。
自分は英語教師としてどこでも
やっていけるから、彼女が行くところは
一緒に行ってサポートするよ、って。
だからもし日本を離れることに
なったとしても、いいんですって。
こういう夫婦関係素敵だなって思いました。
テレビではしっかり者の印象の
夏井いつき先生ですが、
意外にも家のことは無頓着。
そんな妻を支えるため
朝昼晩、基本的に食事は
夫の加根光夫さんが作るのだそう。
夏井いつき先生は机から全く動きません。
代わりに加根光夫さんが
掃除、洗濯、料理、買い物
ほとんどをこなすんです。
こんな献身的な旦那さんなかなかいませんよねw
それでも加根光夫さんは
好きでやっていると言います。
「原稿書くのはあなたしかできないんだから
あなたが締め切り守ってさっさと書いてください。
夏井いつきの俳句をもっと生かすために、
それ以外のことで自分ができることはやりたいんです」
そんな加根光夫さんに、
夏井いつき先生は俳句を送っています。
「風のたてがみは 花野をゆく白髪」
風は「苦難」、たてがみは「雄々しい様」、
白髪は「夫の加根光夫さん」を表しています。
人生に吹き荒れる様々な苦難に
頼もしい夫が立ち向かっている。
「あなたがそばにいてくれるから頼もしいです」
という意味の句だそうです。
本当に素敵な夫婦。
そして、夫が妻のようですよね。
俳句の世界では、「妻」と書いても「つま」、
「夫」と書いても「つま」と読むそうです。
どっちから見ても「つま」なんです。
二人はこう言っていました。
とても仲睦まじい夫婦の姿に、
結婚ってやっぱり良いなと思ってしまいましたよ。
将来、私も違いに信頼し
支え合って生きていけるような
素敵な相手を見つけたいですね。
そのためには自分が素敵にならないとw