こんにちは!はづきちです!毎朝「ひよっこ」を見ながら泣いたり笑ったり忙しいですwひよっこって、波乱万丈ではないもののどこかジーンときますよね。視聴率は振るわないようですが、人の優しさ・温かさを感じるドラマに仕上がっていて私は好きですよ。
さて、次作の朝ドラ「わろてんか」の
情報もちょこちょこ増えてきました。
個人的には実在モデルが
存在する朝ドラは大好物ですw
ドラマのストーリーと実際とを比較
しながら見るのが好きなんですよね。
共感してくださる方がいれば嬉しいな♪
今回は、かの有名な吉本興業の
創業者・吉本せいさんがモデル。
主人公・藤岡てん役を
葵わかなさんが演じます。
原作小説や関連書籍が増えてきたら
随時追記するとして、今わかる限りで
どんな方なのか紹介していきます♪
吉本せいってどんな人?
兵庫県明石市出身の吉本せい(林せい)。
1889年(明治22年)12月5日、
米穀商や金融業を営む
林豊次郎と林ちよの三女として
生まれました。
成績優秀で家業から家事もこなすせいは、
とても大切に育てられたようです。
しかし、古い風習に習い15歳の頃
大阪の商家へ上女中として奉公に出ました。
そこでは能力の高さが仇になり
いじめも受けたようですが、
奉公が明けて実家に戻ると
その商才を遺憾無く発揮し
父親を喜ばせたようです。
やっぱりずば抜けて才能があると
いつの時代もあまり歓迎されない
のかな?と思いましたが、
家族に愛されていたようでホッとしますね。
その後せいは大阪で名の知れた
老舗の次男の元に嫁ぎ、
子供も授かります。
しかし、経営は思わしくなく
働かない夫の負担は全てせいの元へ。
それでも一人働き夫を動かし
寄席の経営を始めたせい。
1913年(大正2年)に吉本興行部
(後の吉本興業)を設立しました。
1950年3月14日(昭和25年)
に60歳で亡くなるまで
懸命に働き続けた女性です。
何というか・・・
朝ドラモデルにぴったり!
な気がします。
吉本せいという一人の女性の生涯、
生き方がとても気になりますね。
彼女をモデルにした山崎豊子さんの
小説「花のれん」を読めば、
せいがどのような人物だったのか
伝わってくるでしょう。
力強く生きながらも、なかなか
波乱万丈な生涯だったように思います。
夫と吉本興業の設立について
(左から青山督・吉本吉兵衛・吉本峯子・吉本喜代子・吉本せい・林正之助)
せいの結婚相手となった夫の
吉本吉次郎(後に吉兵衛を襲名)は、
1886年(明治19年)4月5日
大阪で老舗の荒物問屋「箸吉」
の次男として生まれました。
兄が亡くなり家督を継ぐ立場
だった吉兵衛が、融資の相談を
するためにせいの実家に訪れた
ことが二人の出会いです。
1907年(明治40年)に二人は結婚。
箸吉は名の知れた老舗でしたが、
せいと吉兵衛が結婚した頃には
日露戦争の影響を受け
経営は苦しくなってきていました。
そんな中、夫の吉兵衛は
剣舞などの芸事に入れ込んでいました。
仕事をせいに押し付け、
借金も膨らみついに箸吉は
経営破綻してしまったのです。
そこでせいは夫に言うのです。
「あんさん、そないに芸事好きでっか…
それやったら、いっそのこと、
毎日芸人さんと一緒に居て
商売になる寄席しはったらどうだす」
これが、吉本興業誕生のきっかけでした。
働かない夫に、興味がある分野を
仕事にしないかと提案したんですね。
ですがこの提案、この頃の常識では
とても考えられないことでした。
一流の芸は落語と言われていた当時、
寄席は「色物」と呼ばれ二流三流の
扱いを受けていたからです。
それでも周囲の反対をよそに
通常の入場料を3分の1にし、
安さを売りにいち早く寄席の
チェーン化に乗り出したせい。
大阪のシンボルである
通天閣を買収したのもこの人ですw
この頃には夫も積極的に協力し、
極道と共存共栄する
男ばかりの厳しい世界で
せいを助けていました。
しかし夫の吉兵衛は
1924年(大正13年)に
39歳の若さで亡くなってしまうのです。
せいは自分が病気で子供を
産めなくなると言われたとき
夫に妾(愛人)を持つように勧めており、
吉兵衛は愛人の家で亡くなった
と言われています。
せいは、どんなに苦労をかけられても
夫のことも大切にしていたんですね。
子供や家系図について
せいが第一子を授かったのは
1916年(大正5年)12月。
長男の名前は吉本泰之助といいます。
しかし、2年後に亡くなってしまい
二人には跡取りがいませんでした。
そのためせいは自分が病気で
子供を作れなくなる
可能性があると言われたとき、
夫に妾を作るよう勧めたのです。
その後せいは合計8人の子供を
出産しましたが、早世ばかりでした。
1923年(大正12年)に
次男の吉本穎右(えいすけ)が
生まれましたが、その直後に
夫がなくなりせいは穎右のことを
跡取り息子としてとても可愛がったといいます。
おっと!朝ドラにまた
「えいすけさん」が誕生しますねw
キャストが楽しみです♪
しかしその穎右も、結核を患い
1947年(昭和22年)に24歳の
若さで亡くなってしまいます。
せいは夫と息子に先立たれ、
妻や母親としての幸せには
あまり恵まれなかったようですね。
孫は存命?
穎右は生前、「ブギの女王」として
一世を風靡した9歳年上の歌手・
笠置シズ子と結婚を誓い合っていました。
Amazonなどでも関連商品が出てきますし、
懐かしいという方もいるかもしれませんね。
二人の結婚に対してせいは
反対していたものの、
シズ子は穎右の子を妊娠しており
後に長女・亀井エイ子を出産します。
このエイ子が、
せいの唯一の孫にあたります。
せいはエイ子を引き取りたいと
申し出ましたが母親に断られており、
エイ子は吉本の籍には入っていません。
というわけで、吉本の家系図としては
穎右の家系は断絶しています。
亀井エイ子さんの現在が
気になりますね。
1947年(昭和22年)6月生まれなので、
ご存命であれば2017年現在70歳。
もしかしたら朝ドラ「わろてんか」
を見ているかもしれません。
詳しくはまた追記していきたいと思います。
少し調べただけですが、
朝ドラ「わろてんか」楽しみですね♪