安藤忠雄の年収と妻について!建築作品と明言まとめ!

2014年4月6日(日)23:15~放送の情熱大陸
建築家の安藤忠雄さんが出演されます。

大阪のおもしろいおじちゃんでは?との声があがるほど
独特で個性的な方のようですが、
その実力と生き方に多くの人が魅了されているようです。

パワフルな72歳の安藤さん、気になったので調べてみました☆

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安藤忠雄 
プロフィール

名前:安藤忠雄(あんどうただお)
生年月日:1941年9月13日
出身地:大阪府大阪市港区
出身校:大阪府立城東工業高等学校(現在の府立城東工科高校)

略歴
双子の兄、そして弟がいる三人兄弟の長男として生まれる。
中学生のころに近所の木工所に興味を持ち、大工の仕事を無理やり手伝うようになる。

高校進学後は双子の弟の影響を受けボクシングを始め、高校2年生でプロボクサーライセンスを取得。
しかし当時のプロボクサーの才能を目の当たりにし、ボクシングで生きていくことは諦める。

高校卒業後サラリーマンとして就職するも性格に合わず断念。
その後は建築・インテリア関係の仕事を探し生計を立てる。

そこで自分の知識のなさから勉強の必要性を感じ出す。
関西の建築設計事務所でのアルバイト経験など独学で建築士試験に合格。

23歳のころに海外に渡り、多くの欧州建築を見て学ぶ。

ヨーロッパからの帰路に立ち寄ったインドのガンジス川で
牛が泳ぎ、死者が荼毘に付される(火葬される)傍らで多くの人々が沐浴する、
生と死が渾然一体となり人間の生がむき出しにされた混沌世界に強烈な印象を受ける。

「生きることはどういうことか」を自問し続けたときに出た答えが、

「人生というものは所詮どちらに転んでも大した違いはない。ならば闘って、自分の目指すこと、信じることを貫き通せばいいのだ。闘いであるからには、いつか必ず敗れるときが来る。その時は、自然に淘汰されるに任せよう。」

というゲリラとしての生き方

その後、1969年に安藤忠雄建築研究所を設立。

1979年に「住吉の長屋」で建築学会賞を受賞。
その後もアルヴァ・アアルト賞や、建築界のノーベル賞と言われるプリツカー賞など、
数多くの賞を受賞している。

略歴を調べただけでも安藤さんの生き方がとても伝わってきました。

安藤忠雄ってどんな人?

安藤忠雄 
数多くの講演会もされている安藤さん。

日本だけではなく海外でも講演をされており、
特にヨーロッパでは超満員で立ち見が出るほど。

入れなかった人は別会場で中継を見るほど有名だそうです。

日本のある講演では、日本人が今後進むべき道についてのお話もありました。

安藤さん独特の言い回しで、
ひょっとすると誤解を受けることもあるのか?という印象も受けましたが
一人でも多くの人に自分の生き方を通して心から伝えたいことがある人なんだと思いました。
安藤忠雄 

「最近の日本人には迫力がなく、自分がこの国を背負っていくんだという気概のある人がいない」
と語る安藤さん。

「夢を持たない人生は結構きついものがある。今の日本人に必要なのは夢と希望です。個人が、企業が、そして政府が目標をしっかりと定めて、それぞれ成すべきことは何か、真剣に考えなければいけません。」

勉強のためヨーロッパを放浪していたときのことについて話しながら、

「金が無い、知的レベルが低い、英語ができない、でも体力だけはあった」

という安藤さん。

「かっこ悪くてもいいからがむしゃらにやってみなあかん」

この言葉だけでも勇気がもらえると思います。

「でも・だって・だけど」
3Dと呼ばれるこの逆接の接続詞。

この言葉が安藤さんの口から出ることはないなと思ってしまいました。

そして何かあるとすぐに「でも…」と言い訳をしがちな自分が恥ずかしくなりました。

ちょっと脱線しますが、
私の好きな本で伊藤守さんの「いまここから始めよう」という本があります。
その本文の一部です。

もう少し経験を積んだら。
もう少し理解が深まったら。
もう少し財産ができたら。
心が安定したら。
自分のことを好きになれたら。
人が許せるようになれたら。
そうそう、全部すでにもっていることにして、
すべてあるというところに立って、
そして、始めるのです。

安藤さんも、○○が無いからできない、やらないではなく、
今持っていないものを「やる理由」に変えて生きてきた人だと思います。

このブログでは書きつくせないほど多くの経験をされて
全世界の人を魅了し信頼を得て、今もなお新しいことにチャレンジし続けています。

安藤さんの生き方にすごく刺激を受けましたし
「じゃあ、自分はどうするの?」ということで、
ここで得た刺激を自分の人生に落とし込んでいきたいと思いました。

建築家、安藤忠雄の年収は?

安藤忠雄 
さて、ちょっと気になったのが、
これだけ有名な安藤さん、年収はいくらくらいなのだろうということ。

建築家と建築士の違いについて気になる方もいらっしゃると思うので少し書かせていただきますが、

「建築士」は日本において国家資格を取得した人。
「建築家」は日本において定義が曖昧だそうです。

簡単に言うと「建築士は技術者」で、「建築家は技術に芸術性や社会性が加わっている」
と言えばいいでしょうか…。

仕事上、肩書きとして建築家を名乗る方もいらっしゃるでしょうが、
安藤さんはもちろん建築士の資格を得た上で多くの作品が注目を集めています。

安藤さんは誰もが認める有名建築家ですね。

一般的な建築士の報酬額をみていきたいと思います。

《建築士の標準的な報酬基準(最低ライン)》

・工事費が1千万円の戸建住宅……………… 22万円
・工事費が2千万円の戸建住宅……………… 70万円
・工事費が1億円の商用店舗………………… 234万円
・工事費が5億円の商用施設………………… 711万円
・工事費が20億円の美術館…………………2211万円

※免許取得後3年未満の1級建築士が設計+工事監理を行った場合の報酬額

※Japan Business News2007より抜粋

ちょっと情報が古いので今はこれより少なくなっているのではないかと思われますが、
建築士に対する報酬額はその人の経験や知名度によってピンキリだそうです。

高収入を稼いでいる建築士の共通点は「優良な固定客」を確保していること

安藤さんの場合、グッチやボッテガ・ヴェネタ、
アルマーニといった超有名ブランドがクライアントということで、
上記の一般的な報酬額など参考にならないでしょうが、

これまで積み重ねた実績が多くの方から認められての報酬ですから
どんなに高額でも誰も文句は言わないでしょう。

創設者のアルマーニさんに「生きてるか~?」と突然電話するくらいの仲だそうですから…(笑)

 

また、数々の著書があり、講演会の活動も含めるとかなりの額になりそうですね。

ただ、安藤さんは得た収入の多くを寄付金として被災地へ届けたり、
植樹に貢献したりと数々の社会的支援もされています。

億単位で稼がれているのは間違いないと思いますが、
簡単にこれくらい稼いでるんでしょうね~とまとめられないくらい
様々な活動をされている方だと知ることができました。

安藤さんの妻や家族について

安藤さんについてもうひとつ気になったのは、奥さんについて。

かなり多忙な生活をされているので結婚はされていないのでは?と思ったのですが
調べたところ事務所を開いた当初は一緒に仕事をされていたようです。

夫婦で撮影された写真もあるとのことで結婚はされているようですね。

しかし、著書では「生き別れた奥さんと子供がいる」とのみの記載で
それ以上のことはわかりません。

それだけ建築に夢や希望をもって、日本を背負って生きてこられたということが、
安藤さんの生き方を通して伝わってきますね。

絶対見たい!安藤忠雄の作品を紹介!

長くなりましたが、安藤さんの作品として
これは見ておきたいというものを紹介させていただきます。

ベネッセアートサイト直島 地中美術館
地中美術館 

「自然と人間を考える場所」として2004年に設立されました。
直島の美しい景観を損なわないように建物の大半が地下に埋設された設計ですが
自然光が降り注ぎ、一日を通して、また、四季を通して
作品や空間の表情が刻々と変わるのが魅力となっています。
地中美術館 

 

 

プンタ・デラ・ドガーナ(Punta della Dogana)
プンタ・デラ・ドガーナ 

オーナーは、世界を代表するアートコレクターのフランソワ・ピノー氏が運営する財団。

17世紀に建てられた古いベニスらしい建物をグッゲンハイムとの入札争いに勝って取得、
安藤さんにリノベーションを依頼
ベネチア・ビエンナーレの開催と同じタイミングで美術館もオープン。
プンタ・デラ・ドガーナ 

安藤さんは朽ちたレンガの代わりに同時代である15世紀のレンガを取り寄せ壁を組みなおし、
梁も当時の木材を使用ました。
歴史的建造物の修復と保存を両立してみせた傑作です。

その歴史的建造物の中に、
過去の素材レンガと現代の素材コンクリートを組み合わせた空間があります。
時代を超え存在し続ける太陽の光によって調和しているその空間。
プンタ・デラ・ドガーナ 

安藤さんは、過去と現在を結ぶことはその先の未来へとつながると考えたのかと思います。
まさに、点と点が線で繋がった作品だと思います。

いかがだったでしょうか。
まだまだ、日本中、世界中に多くの作品があります。

今後も休むことなく走り続けるであろう安藤さんから目が離せないですね。

安藤さんの背中を見るだけではなく、
同じように、それ以上に各分野で活躍できる日本人が出てくるとワクワクしますね。